子どもが欲しい物をなんとか聞き出し、プレゼントを用意してイブの夜まで隠し通して深夜に枕元に置いて・・・なかなか難度の高いミッションです。それでもそれが楽しくて、朝プレゼントを見つけて喜ぶ笑顔が嬉しかった。
その時の子どもの反応は、単に贈り物を貰って嬉しい、というだけではない。「奇蹟を体験した」という驚き。幼い頃にしかできないそんな貴重な体験をさせたくてつい頑張ってしまった。
しかしKにはそれが通用しない。喜ばせたい、という気持ちばかりが空回りしていた。
ここで昔書いていたが、おもちゃ屋で手に取ったので選んでみたら気に入っていたのは箱の方、とか開封して10分後に壊して見向きもしない、とか。なかなかキツいものがあった。
その分・・・なのかどうか弟君はそういう反応が素晴らしかった(笑)のでそちらにはかなりの労力を使った。その甲斐あってか、彼がサンタクロースの正体を認めたのは小学校の5年生くらいになってから。私と同じ(大笑)。
私がサンタの実在に疑問を示した時の両親の対応、というか言い訳は今思うとすごかった。
「うちには暖炉も煙突もないのに、サンタさんは何処からくるの」と聞けば、当時の汲み取り式トイレの臭気抜き煙突もどき(わかる人にはわかる)を指して「あそこからよ」と答える。
「あんな細い管に入れるの?」と聞けば、「サンタさんは魔法が使えるから大丈夫」と、もう反則のような答えが返ってきた。力技にもほどがある。
魔法でなんでもできるなら、わざわざそんなところに入らなくてもいいじゃん・・・などと突っ込むにはおバカで幼かったしね。
「着せ替え人形と着せ替え用ドレスを3枚ください、ってお願いしたのにドレスは1枚だけだった」
「サンタさんは世界中の子どもにプレゼントを用意しなければならないのだから、ひとりにお金はかけられないでしょ」
サンタさんではなく親の懐事情だよな、と納得するのも後になってから。
力技で押し切られていたせいか私自身のサンタ信仰も深かったように思う。小1くらいの頃だったか、同級生の女の子に「サンタはいないよ。おとぎ話でしょ」と言われた時に私は迷わず言い返した。
「サンタは“いい子”のところにしか来ないのよ!」
相手の女の子は“ダメだこいつ”みたいな呆れ顔で私を見ていたっけ。あの時はごめんなさい。前にもここで書いたかな、恥ずかしいのに忘れられないクリスマスの思い出。
年に一度、親のプロデュース力が試される日。自分の親と同じくらいには頑張れたと思う。今はそんな大芝居から解放され、「だってクリスマスだし」と言い訳してケーキとかピザとかオードブルとかを買って夕食の支度をサボれる日、にしている。
理屈では説明できない物事や人の心の不思議、そういうことも含めた「奇蹟」を認められるようになったのは両親の「クリスマス力技プロデュース」のおかげだと思えます。
さて、お片付け。

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