久し振りに「きょうだい」への想い

 義父が亡くなった後のさまざまな手続きが一段落してようやくひと息つけるようになった。夫やその兄弟も知らなかったあれこれも多く、正直「なんじゃこりゃ」な案件も多数。
 人がひとりいなくなるって重いこと、大変なことなんだと今更思い知る。

 私と夫が亡くなった時に後始末をする役割はほぼ弟君のみ、と言える。更に、その時点でKが存命であればそっちの方も気にしなければならない。なんとなく申し訳なく思ってしまう。弟君が身内のあれこれに余計な奔走をしなくてもいいように。終活を始めたのも諸々わかりやすくしておこう、と考えたから。

 「いい子ね。」成長してからは「今時の若者にしては気持ちのいい子」「気配りのできる人」といわれている弟君。親バカインフレをかなり割り引いても、まっすぐに成長してくれたと思う。だからつい不安になる。昔よりずっと厳しい世の中をうまく渡っていけるのか。

 夫や自分のきょうだい、甥・姪に時々言ってしまうこと。
 「あの子はひとりで背負うものが多いし世渡りの知識も浅い、兄弟はいても頼れない。だから、私達がいなくなってから困っているようなら相談に乗ったりアドバイスをしてやってほしい。」
 もちろん金銭的な迷惑はかけないから・・・・と。

 そんな私に先日夫のきょうだいが言ったこと。
 「心配のし過ぎじゃない? 弟君をもっと信頼してあげようよ。もちろん協力はするけど、彼ももう子供じゃないし、いざとなればピンチを切り抜ける力はあるよ、絶対。」

 ああ、そうだった。
 Kの療育で言われた、「子どもが自分で育つ力を信じてあげてください。」という言葉。
 健常児だって同じことだ。

 大人になったのについ子ども扱いしてしまう。それもまた同じ。
 あと、弟君にはもしかしたらこれから頼もしい配偶者が、そして力をくれる家族ができるかもしれない。その未来もまた信じよう。

 いつになることやら、ですが。

 過去記事
 障害児とその兄弟(弟君、感謝。)  (2006年)
障害児とその兄弟・・・期待と愛と  (2007年)

 昔はこんな心配をしていたのだな。「きょうだい児」カテゴリの記事は切なくてなかなか読み返せない。
 親でも本人でもない、なんというか巻き込まれた存在だしね。

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