バリアフリー。壁をなくそう、わかり合おう。
さまざまな場面で目標とされ、その達成に向かう努力は惜しんではいけない。誰も疑問は抱きません。また、疑問を抱いたとしてかなり上手に主張しないと常識を疑われてしまう。
この本の著者である今中博之氏は両下肢に先天性の障害があり、現在は障害者の文化・芸術活動を支援するさまざまな活動を精力的に展開している方です。その活動の中で感じた「壁」についての考えが、私には実に素直に受け取れました。
壁をなくして理解し合う。この言葉通りの相互理解は可能なのか。そして、本当に望ましいのか。
今中氏は「壁」を「障壁」と「防壁」に分類し、前者を壊しても後者は必要、と語る。
何かしらのハンデがある、心が傷ついている人々。自分で壁を作って閉じこもっているのは、少し休みたい、一人でいたい、考えたいからではないか。誰だって絶対触れてほしくないことはある。ならばその「防壁」を外から勝手に崩して無理矢理踏み込む、または外に出すのはどうなのだろう。
また、障害者等のいわゆる「弱者」とされる人々を何かと特別扱いする。もっと助けたい、いや助けなければいけない、それが絶対正しいから。
そんな人達のことを社会に知ってほしいから、と施設等で派手な交流行事を開催する。特に知られたいとは思わない、静かな生活を乱さないでほしいと思っている人もいるだろう。
このあたりは難しいところで、私は保護者としてKのような最重度知的障害者の存在を知ってほしい、そこから社会の理解を深めて福祉が充実すればいい、と思っていた。
しかしK本人にしてみれば「うるさいな」だったかもしれない。現在の施設での穏やかな笑顔を見ていると考えてしまう。でも、成長期にいろいろな体験をさせてあげたことは良かったと思っています。
とにかく。「全く属性の違う相手を理解し思いやる」ということは簡単なことじゃない。そこを承知して受け入れないと「壁」は上手に崩せないし作れない。この本を読むとそのあたりをいろいろと考えてしまう。
長くなるので続きは次回。
壁はいらない(心のバリアフリー)、って言われても。 [ 今中 博之 ] - 楽天ブックス
この記事へのコメント
kensy
壁をどう捉えるかはなかなか難しい気がしますが、防壁も必要だなと思う一方で、防壁と思っていた壁を突然壊したくなるときもあるのではないかと思いました。放っておいて欲しいと思うこともあれば、分かり合いたいと思う瞬間もあるような気がします。全てを壊す必要はないかもしれませんが、これは壊してみてもいいかもと思うときは、踏み出す勇気を持つことも必要なのかもしれませんね。
tomoko
>壁をどう捉えるかはなかなか難しい気がしますが、防壁も必要だなと思う一方で、防壁と思っていた壁を突然壊したくなるときもあるのではないかと思いました。
そうですね。状況が変われば「障壁」だったものが「防壁」に、またはその逆になることもあると思います。
私は物言えぬ障害者の代弁者、のような立場をずっと続けてきましたが、どんな壁をればいいのか、そして壊せばいいのか、今もずっと迷っています。