「壁はいらない(心のバリアフリー)、て言われても」を読んで、その2 です。
繰り返すが「全く属性の違う相手を理解し思いやる」ということは簡単なことじゃない、それは確かにそう思う。健常者と障害者、男性と女性、富める者と貧しき者。
互いに理解し合おう、相手の立場になろう、と言うのは簡単だが完全に実現するのは無理だ。今井氏はそう感じている。
そして、そこから湧くのはたくさんの疑問や問題点。
「知ってほしいのはどこまで?」
「(未知の対象を)怖がることも多様性」
強者、弱者とされる人達にもそれぞれ個性や置かれた環境は異なる。助ける人、助けられない人がいる。
強要するのではなく助けたい人、助けられる人が助ければいいし、助けられたい人は必要な助けを求める。それが円滑に伝えられる社会になれば。
私が理想とする「多様性」はこれかもしれない。そんなふうに思えた。
ここでも何度も書いたが、私が世間にいちばん求めていた「助け」は「Kと外出した時に好奇の目で見ないでほしい」だった。
最近は各地に多目的トイレも増え、手帳による割引もあり困ったことがあっても担当者に相談すればできる範囲で対応してくれる。(「できる範囲」で充分ありがたいです。)辛かったのは、明らかに好奇と時には嘲笑の色が混ざった「視線」だった。
特に迷惑ではないが見るだけで不快、という気持ちも私は否定しない。それもまた多様性。ただ、それならばその場から去るか、それが無理な場なら目を背けていてほしい。
それでも今時はありがたいことに、あきらかな迷惑でなければだいたいの人は「見ないふり」をしてくれるし本当に困っているとわかると声を掛けてくれたりもする。私達はいい塩梅の「壁」を築くことができていたのかもしれない。障害者に限らず「助けてほしいこと」「困っていること」「嫌なこと」も多様性。
以前、チャリティー番組等の在り方を語るときに「感動ポルノ」という言葉が使われた。解釈の仕方次第では誤解を招く言い方だが、この本を読むと解釈のヒントがちょっとわかった気がします。
私が今の段階で心掛け、努力できることは。
互いを気遣い、その立場に立って思い遣るということは大切だけど難しい。
だから、障害者とその家族として私達に配慮してくれる人達の厚意や制度はありがたく受け取るが、それを与えてくれる健常者や行政の立場をこちらで気遣うことも大切だろう。
完全に理解し合うことができなくても、近付くことができるように。
壁はいらない(心のバリアフリー)、って言われても。 [ 今中 博之 ] - 楽天ブックス
この本はいろいろなことを気付かせてくれたし、まだ考えてみたいこともある。ここで書いた解釈も間違っているかもしれない。そんなことも考え、話し合うきっかけになる本です。
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