「全く属性の違う相手を理解し思いやる」ということは簡単なことじゃないという意見に私はほぼ同意できた。
生まれ育った環境や性格、得意不得意、そして障害等のハンデの有無、さらにその重さ・大きさ。そんな個々のすべてに共感して寄り添うなんて無理、そこで「できる範囲で」、からの「合理的配慮」になるわけで。
そんな時、購読している雑誌「ダ・ヴィンチ」2月号に掲載されていた平山夢明・頭木弘樹両氏の対談を読んだ。平山氏は私が大好きな小説家、頭木氏は難病を患いその経験を通したエッセイ等の著作がある。
対談の中で、頭木氏はその作品で「人間の共感性には限界がある」というようなことを書いているとあった。
前に紹介した今中博之氏、そして頭木氏。障害や難病を身をもって知る人の実感なのだろう。
私は障害者本人ではなくその保護者、そして本人であるKは意思の疎通が難しい。共感したいと思ってもその入り口すらわからなかった。
コミュニケーションがとれる、更に自分の気持ちを上手に文章化する能力がある、そんな著作業の方ですら「共感性の限界」を感じているのだから、健常であったとしても表現がうまくない私達が戸惑っているのも当然だ。
経験していないことに対して「その気持ちはよくわかる」と簡単に言ってしまうことは時に迂闊だったり無責任だったりする場合もある。
頭木氏は「完全に分かる、ということはありえない、ただ少しずつ共感の幅を広げることはできると思う」と語る。それが「読書」だと。
これはもう、膝を赤くなるまで叩きたいくらい同意です。もちろん実体験は大切だしできればチャレンジしたいが時間も環境も限りがある。「読書」で経験はできないが想像力は必要だ。
他者に共感する力を補うのは想像力、その力をつけるのは読書。至言だと思う。
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この記事へのコメント
kensy
tomoko
kensy様
「ハンチバック」、未読ですか芥川賞を受賞して話題になりましたね。当事者、関係者、関りはないが興味がある、興味すらない、さらに関わりたくない、いろいろな人がいるしその全てを理解なんてできない、でも近づけてくれるのが読書体験だと思います。意外な発見や、それまでわからなかった人をわかってみたくなったりします。できる限りの「経験値」を得たいですね。